はじめに
この記事では、中世ヨーロッパを代表する王朝の一つであるカロリング朝の歴史的背景と867年開始時の状況を丁寧に解説しています。
この記事を通じて、カロリング朝がどのような王国を治めていたか、そしてその後どのように衰退・断絶していったのかが体系的に理解できるようになっています。
CK3をプレイする上で歴史背景を押さえておくことで、ゲーム内の政治・外交・戦略の奥行きがぐっと深まります。
867年の状態
カロリング朝の者は以下の4つの王国の王。
- 東フランク王国(ルートヴィヒⅡ世:61歳)
- 西フランク王国(シャルルⅡ世:43歳)
- イタリア王国(ルイⅡ世:32歳)
- ロタリンギア王国(ロテールⅡ世:31歳)
ロテールⅠ世、ルートヴィヒⅡ世、シャルルⅡ世が兄弟。
867年時点でロテールⅠ世は亡くなっており、その息子がルイⅡ世とロテールⅡ世。
カールの戴冠から867年まで
800年のクリスマス、ローマにて、フランク王カールはローマ皇帝になった。
814年、カール大帝が死去した。
843年、カール大帝の孫である、ロテールⅠ世・ルートヴィヒⅡ世・シャルルⅡ世により、領土が三分割された(ヴェルダン条約)。
- ロテールⅠ世 :中部フランク王国
- ルートヴィヒⅡ世:東フランク王国
- シャルルⅡ世 :西フランク王国
855年、ロテールⅠ世が死去し、中部フランク王国はさらに三分割された。
- ルイⅡ世 :イタリア王国
- ロテールⅡ世:ロタリンギア王国
- シャルル :ブルグンド王国、プロヴァンス公国
863年、シャルルが死去し、ブルグンド王国・プロヴァンス公国は、ルイⅡ世とロテールⅡ世に相続された。
867時点で、ゲーム内のカロリング朝の勢力図は以下の通り。
ロテールⅠ世 :中部フランク王国- ルイⅡ世 :イタリア王国・ブルグンド王国の一部
- ロテールⅡ世:ロタリンギア王国・プロヴァンス公国
シャルル :ブルグンド王国、プロヴァンス公国
- ルートヴィヒⅡ世:東フランク王国
- シャルルⅡ世 :西フランク王国
メルセン条約(870年)
869年、ロテールⅡ世が死去する。
それにより、ロタリンギア王国はロテールⅡ世とシャルルⅡ世により分割される(メルセン条約)。
現在のフランス・ドイツ・イタリアの原型である。
ロテールⅠ世 :中部フランク王国- ルイⅡ世 :イタリア王国・ブルグンド王国の一部
ロテールⅡ世:ロタリンギア王国・プロヴァンス公国シャルル :ブルグンド王国、プロヴァンス公国
- ルートヴィヒⅡ世:東フランク王国・ロタリンギア王国の北東側
- シャルルⅡ世 :西フランク王国・ロタリンギア王国の北西側
イタリア王ルイⅡ世の死去(875年)
ルイⅡ世は男子の相続人なく死去した。
西フランク王シャルルⅡ世が相続した。
東フランク王国でのカロリング家断絶(911年)
東フランク王国では、911年にカロリング家が断絶する。
919年、国王選挙によりハインリヒ1世が国王に選出される。
その長男がオットー1世(初代神聖ローマ皇帝)である。
ハインリヒ1世の父(オットー1世の祖父)は、ゲーム開始時点で存在する。
東フランク王国の封臣・アングリア公爵オットー(リウドルフィング家)である。
西フランク王国でのカロリング家断絶(987年)
西フランク王国では、987年にカロリング家が断絶する。
その後、ユーグ・カペーがカペー朝を開いた。
ユーグ・カペーの祖父は、ゲーム開始時点で存在する。
ロベルト・ロベール(ロベール家)であり、ゲーム開始時点で0歳・所領なしである。
ロベルトの兄は、西フランク王国の封臣・アンジュー伯爵ウッデ(ロベール家)である。
おわりに
867年シナリオにおけるカロリング朝の歴史を振り返ることで、彼らがヨーロッパ史に残した足跡と、その後のゲーム内での展開がより鮮明になります。
東フランク・西フランク・イタリア・ロタリンギアに分立していた各王国は、後の世紀に大きな変動を迎えます。
CK3でのプレイでも、カロリング朝という大きな歴史的存在を理解しておくことは、戦略的判断や没入感の向上につながるでしょう。
ぜひこの記事を参考に、歴史を追体験しながら中世ヨーロッパ世界の再構築を楽しんでください。

