はじめに
ブルネイ・ダルサラーム国は、東南アジアのボルネオ島北部に位置する国である。南シナ海に面し、マレーシアのサラワク州に囲まれた小国であり、豊富な石油や天然ガス資源を有している。また、イスラム教を国教とし、スルタンを国家元首とする君主制を維持している点も特徴である。
古代から中世にかけて、現在のブルネイにあたる地域は、ボルネオ島周辺の海上交易ネットワークに組み込まれていた。周辺地域との交流を通じてヒンドゥー教や仏教の影響を受けた後、イスラム教が伝播し、14世紀頃にはブルネイ・スルタン国が成立した。16世紀にはボルネオ島北部やフィリピン南部に影響力を及ぼし、海上交易とイスラム文化の中心地として繁栄した。
しかし、近世以降はスペインなどのヨーロッパ勢力との対立や王位継承をめぐる内部抗争によって勢力が衰退した。19世紀にはイギリス人ジェームズ・ブルックによるサラワクの支配拡大や、イギリス北ボルネオ会社の進出などによって領土を次々と失い、1888年にはイギリスの保護国となった。さらに、第二次世界大戦中には日本軍による占領を経験した。
戦後はイギリスの統治下に戻り、1959年には成文憲法が制定されて自治が拡大した。1963年のマレーシア成立には参加せず、イギリスの保護国として独自の政治体制を維持した後、1984年1月1日に完全独立を達成した。
独立後のブルネイは、石油や天然ガスの収入を背景に経済的な発展を遂げた。一方、政治面ではスルタンを中心とする君主制が維持され、現在も王室が国家運営の中心的な役割を担っている。
本記事では、ブルネイの歴史を「古代」「中世」「近世」「近代」「現代」に分け、イスラム王国の成立と繁栄、ヨーロッパ列強の進出による領土の縮小、イギリスの保護国化、そして独立後の国家形成までを時系列で整理する。現在のブルネイがどのように成立し、独自の政治体制を維持してきたのか、その歴史的背景をたどっていく。
古代
現在のブルネイにあたる地域では、古くから河川や海岸沿いに先住部族の集落が形成され、周辺地域との交易が行われていた。
中世
各部族は、スマトラ島を拠点としたシュリーヴィジャヤなどの海上交易勢力やマレー世界の港市と結びついていた。
ヒンドゥー教や仏教の伝播に伴い、これらに基づく君主制の国家が成立した。
1293年、ジャワ島にてマジャパヒト王国が成立し、ブルネイもその影響下に入った。
その後、ブルネイは勢力を拡大し、ボルネオ島の西海岸を中心に征服活動を行った。
14世紀後半、王はイスラム教に改宗してスルタン:ムハンマド・シャーとなり、ブルネイ・スルタン国が成立した。イスラム教の伝播の背景には、マレー世界の商人、イスラームを信仰する外国商人、周辺のイスラーム王国との交流があった。
ムハンマド・シャーの死後王位争いが起き、1408年にその弟アフマドがスルタンとなった。アフマドの娘は、メッカから渡来したとされるシャリーフ・アリ(預言者ムハンマドの子孫とされる)と結婚した。アフマドには直系の男子がいなかった。
1425年、アフマドの死去に伴い、シャリーフ・アリがスルタンとなった。現国王もこの血筋を引く。
近世
1511年、ポルトガルがマレー半島のマラッカ(現マレーシア領)を占領した。
1521年、スペインのマゼラン艦隊がブルネイ・スルタン国に寄港した。
1560年代、スペインがフィリピンに拠点を設けた。ブルネイはフィリピンに強い影響力を有していたことから、スペインとの対立が深まった。
1578年、スペインはフィリピンを拠点としてブルネイに遠征し、王都を一時的に占領した。
17世紀になると、ブルネイの周辺海域ではスペイン、オランダ、イギリスなどが交易への進出を強めていたこと、王位継承をめぐる内部対立があったこと等から、ブルネイは徐々に衰退した。
近代
1820年代、オマール・アリ・サイフディンが第23代スルタンとなった。
1839年、イギリス人冒険家のジェームズ・ブルックがボルネオ島に到着した。当時のサラワク(現マレーシアのサラワク州あたり)では、地方反乱が発生しており、ブルックはブルネイに協力して鎮圧に関与した。
1841年、ブルネイはブルックにサラワクの統治権を認めた。ブルックは独自の統治体制を築き、ブルネイからの自立を強めた。その後支配地域を拡大し、ブルネイの領域を段階的に取り込んでいった。
1846年、イギリスの圧力から、ブルネイはラブアン島をイギリスに割譲した。ラブアン島はブルネイ湾の入口付近に位置し、南シナ海の航路に関係する戦略的な地点だった。
1847年、ブルネイはイギリスと友好通商条約を締結した。
1852年、アブドゥル・モミンが第24代スルタンとなった。
1881年、ブルネイ北東部の土地を借り、イギリスによって、天然資源の確保等を目的としたイギリス北ボルネオ会社が設立された。
1885年、ハシム・ジャリル・アラム・アカマディンが第25代スルタンとなった。
1888年、イギリスとの協定により、ブルネイはイギリスの保護国となった。スルタン制は存続することとされた。
1890年、サラワクを統治していたチャールズ・ブルックにより、リンバンが併合され、ブルネイの西側・東側の陸上の連続性が失われた(現在も飛び地となっている)。
1906年、ブルネイはイギリス人駐在官を置く制度を受け入れた。
1906年、ムハンマド・ジャマルル・アラム2世が第26代スルタンとなった。
1924年、アフマド・タジュディン・アクズル・カイリ・ワディーンが11歳で即位し、その後第27代スルタンとなった。
1929年、セリア(現ブルネイのブライト地区)で石油が発見された。
1941年12月、日本はボルネオ島を含む東南アジアへの軍事作戦を行った。日本はブルネイを占領し、石油資源を重要な対象とした。占領は日本の敗戦によって終結した。
現代
戦後、ブルネイはイギリスの統治体制へ戻った。なお、スルタン制は維持された。
1950年、オマール・アリ・サイフディン3世が第28代スルタンとなった。行政や社会制度の整備が進められ、自治の拡大をめぐる動きも強まった。
1953年、スルタンは成文憲法の交渉を開始した。
1959年、成文憲法が制定され、スルタンを中心とする統治制度が制度化された。一方、外交・安全保障などへのイギリスの影響力は残った。
また、議会が設立された。仕組みは二段階とはれた。第一段階の地方選挙(ブライト地区、ツトン地区、ブルネイ・ムアラ地区、テンブロン地区の各地区ごと)において、55人の地方議員が選出される。第二段階は、地方議員の互選により、16名が選挙枠として立法評議会(国会)に送り込まれる。ただ、立法評議会の議席数は33であり、その内の17議席はスルタンが指名する非選挙枠であった。
1961年、マラヤ連邦より、シンガポール、北ボルネオ、サラワク、ブルネイをマレーシア連邦として合併させる案が提示され、スルタンはこれに賛同した。
1962年9月、マレーシア連邦への参加の是非が重要争点となる中、選挙が行われた。ブルネイ人民党(PRB)が選挙枠の大多数を獲得したが、立法評議会の前述の仕組みから、PRBは政権を握ることはできなかった。PRBは、ブルネイ、北ボルネオ、サラワクから成る北ボルネオ連邦を提唱していた。
1962年12月、議案を拒否され、PRBは武装反乱を起こした。イギリスの支援で鎮圧され、PRBは非合法な政党となった。
1963年、周辺に位置するマラヤ連邦、シンガポール、サバ、サラワクによってマレーシアが成立したが、ブルネイは参加しなかった。その背景には、石油収入の配分、スルタンの権限、政治制度、連邦内での地位などをめぐる問題があり、合意が形成できなかった点がある。
1967年、ハサナル・ボルキアが第29代スルタンとなった。
1970年、首都はバンダル・スリ・ブガワンに改称された。退位したオマール・アリ・サイフディン3世を記念し、ペルシア語の港(バンダル)、サンスクリット語由来の敬称・尊称(スリ)、サンスクリット語の高貴な人物(ブガワン)を組み合わせて命名された。
同年、選挙枠を廃し、立法評議会は完全任命制となった。
1971年、イギリスと新たな協定を締結した。国内の自治がより明確化された一方、外交・防衛などではイギリスの責任が残った。
1979年、ブルネイとイギリスは友好協力条約を締結し、主権国家としての独立に向けた移行が定められた。
1984年1月1日、ブルネイ・ダルサラーム国として完全独立を達成した。ダルサラームとはアラビア語で平和な土地の意。これにより、1888年以来続いていたイギリス保護国体制は終了した。スルタン制は維持され、ハサナル・ボルキアが引き続きスルタンとなった。立法評議会は解散された。国教はイスラム教、公用語はマレー語である。住民はマレー人が多く、中国系も一定数存在する。
1984年1月、ブルネイはASEANに加盟した。
1984年9月、ブルネイは国連に加盟した。
2004年、スルタンより立法評議会の再開が表明され、45枠のうち15枠が公選とされた。しかし、現在に至るまで、選挙は行われておらず、全議員がスルタンにより任命されている。
2014年以降、段階的に、イスラム法に基づく刑事法が導入された。
2026年10月現在、スルタンはハサナル・ボルキアである。
おわりに
ブルネイの歴史は、海上交易を基盤とするイスラム王国の繁栄、ヨーロッパ列強の進出による領土の縮小、イギリスの保護国化、そして独立という大きな変化を経て形成されてきた。
中世から近世にかけて、ブルネイはボルネオ島北部やフィリピン南部に影響力を及ぼす海上交易国家として発展した。しかし、スペインなどのヨーロッパ勢力の進出や王位継承をめぐる内部対立によって衰退し、19世紀にはジェームズ・ブルックやイギリス北ボルネオ会社によって領土を大きく失った。1888年にはイギリスの保護国となり、第二次世界大戦中には日本軍による占領も経験した。
戦後、ブルネイでは自治の拡大と独立に向けた動きが進んだ。1962年にはブルネイ人民党による武装反乱が発生し、1963年にはマレーシアへの参加を見送った。その後、イギリスとの交渉を経て1984年に完全独立を達成し、現在の国家体制が成立した。
独立後は、石油や天然ガスの輸出によって経済的な繁栄を実現した一方、政治面ではスルタンを中心とする君主制を維持している。周辺の東南アジア諸国で共和制や議会制民主主義への移行が進んだのに対し、ブルネイは独自の王室統治体制を保っている。
このように、ブルネイは領土を縮小させながらも王統を維持し、イギリスの保護国を経て独立を達成した国家である。海上交易によって栄えた歴史と、石油資源を背景とする現代の経済、そしてスルタンを中心とする政治体制を理解することは、東南アジアの歴史と地域的な多様性を考えるうえでも重要である。
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