はじめに
中央アジアの山岳国家であるキルギス共和国は、古くからシルクロードが通る交通の要衝として、多くの遊牧国家や王朝の支配を受けながら歴史を歩んできました。天山山脈を中心とした地理的特徴は、北部と南部で異なる歴史を生み出す一方、峠を通じた交流によって一つの文化圏も形成してきました。
本記事では、突厥が活躍した古代から、カラハン朝やモンゴル帝国の時代、ロシア帝国・ソ連による統治、そして1991年の独立と現代に至るまでのキルギス共和国の歴史を、時代ごとにわかりやすく整理して解説します。
歴史
古代
紀元前2世紀ごろから、烏孫(うそん)が天山山脈の北部(現キルギスのイシク・クル州あたり)で勢力を広げた。
5世紀頃には北部でソグド商人の進出が進んだ。
552年、突厥可汗国が成立した。モンゴル高原を支配していた柔然に臣属していた突厥の指導者が柔然を破り、アルタイ山脈周辺で独立した。突厥は、英語で Turkic Khaganate と呼ばれるように、「Türk」を自称した最初期の大規模なテュルク系国家であり、後世のテュルク系諸民族・諸国家の形成における重要な政治的・文化的基盤となった。可汗国という名称は、突厥の最高君主が可汗(khagan)という遊牧帝国の最高君主を意味する称号を使用したことに由来する。
6世紀後半には西方へ勢力を拡大し、現在のキルギス地域は突厥の勢力圏に入った。
583年、東西の政治的対立が深まり、東突厥と西突厥に分裂した。現在のキルギス地域は西突厥可汗国の領域となった。西突厥可汗国は都を現在のキルギス北部に置いた。当初の都はタラス(現キルギスのタラス州あたり)、次いでスヤブ(現キルギスのチュイ州のアクベシム遺跡あたり)に置かれた。
また、キルギス南部(フェルガナ盆地)には突厥の影響を受ける国家があった。フェルガナ盆地東端のオシ(現キルギスのオシ州あたり)はシルクロードの交差点として重要な都市であった。
キルギスは天山山脈を挟んで北と南に分かれるが、古代より峠を通じて盛んに交流があった。
657年、西突厥可汗国は、内部抗争や唐の介入などにより滅亡した。
西突厥が弱体化し、8世紀初頭には現在のキルギス北部で突騎施が台頭した。その政治的中心はスヤブに置かれた。南部では、突騎施、唐、アラブ勢力およびフェルガナの在地政権が競合した。
744年、再興された突厥がウイグルにより滅ぼされ、カルルク(複数のテュルク系部族の連合)が西へ移動した。
751年、タラス河畔(カザフスタンとキルギスの国境あたり、現カザフスタンのジャンブール州の州都タラズあたり)で、唐とアッバース朝が交戦した。カルルクは唐の傭兵として参戦したものの、戦いの最中に離反した。敗北した唐は中央アジアへの影響力を失った。
突騎施が弱体化し、8世紀中頃には現在のキルギス北部をカルルクが支配した。政治的中心はスヤブであった。カルルクは南部にも進出し、ウズゲン(現キルギスのオシ州)を中心に北部と南部を結びつけた。
中世
840年、東方のウイグル可汗国が滅亡すると、カルルクの指導者は可汗を称するようになった。
940年、カルルクの統合が進みカラハン朝が形成され、首都はベラサグンに移った(現キルギスのチュイ州あたり、ブラナの塔)。当時、テングリ信仰、仏教、ゾロアスター教およびネストリウス派キリスト教などが共存していたところ、カラハン朝はイスラム教に改宗した。
カラハン朝は東西の二重統治を行っていたが、内紛により1040年に東西に分裂した。現キルギス地域は基本的に東カラハン朝の支配下に置かれた(西カラハン朝は現ウズベキスタンなどの地域)。
1089年、セルジューク朝が西方から進出し、西カラハン朝を属国とした。セルジューク朝はさらに東へ侵攻し、東カラハン朝も同様に属国となった。
1134年、東方から契丹系のカラ・キタイ(西遼)が進出して首都を奪取され、東カラハン朝の分解が進んだ。現キルギス南部ではウズゲンを中心とする新たな国家が成立した。
13世紀初頭になると、カラ・キタイが弱体化した。1211年頃、モンゴル帝国に追われて西進した遊牧国家ナイマンのハンがカラ・キタイの王位を奪取した。その頃東カラハン朝の王位は有名無実化した。
1218年から1219年にかけてチンギス・ハンが進出しモンゴル帝国の支配下に入った。
1226年の領土分割ではチンギス・ハンの次男チャガタイが現キルギス地域を支配することとなり、チャガタイ・ウルスが成立した。首都はアルマリク(現ウズベキスタン)。
1340年、チャガタイ・ウルスは東西に分裂した。
1348年、東部の有力者がチャガタイ家に属するトゥグルク・ティムールを擁立しハンに即位させ、モグリスタン・ハン国が成立した。「モグル」はモンゴルに由来する。モンゴル系王族を頂点とし、イスラム化・テュルク語系という特徴を有する点に特徴がある。内部には多数の遊牧部族が含まれた。首都はアルマリク。モグリスタン・ハン国にはハンとは別に実権を握る有力者がおり、二重の権力構造であった。
1360年代以降、西方のティムール朝と衝突し、その侵攻を受けたが、滅ぼされることはなかった。また、東方ではオイラトと争った。
15世紀に入ってもティムール朝の侵攻を受けながら独立を維持し、その過程でキルギス諸部族が政治的主体として成長した。キルギスはモグリスタンの構成部族から独自の政治勢力へ移行した。
近世
1635年に東方でジュンガル・ハン国が成立すると、キルギスはその攻撃を受けた。これにより南下するキルギス集団も多く、フェルガナ地方にも流入した。
1750年代、清朝がジュンガルを滅ぼして新疆方面へ進出した。清朝は天山山脈の西側にいたキルギス諸部族を支配下に置くことはなく、キルギスは独自の部族政治を維持した。また、南部のフェルガナ地方から北部へ戻るキルギス集団もいた。
キルギス南部では、1709年にフェルガナ盆地のコーカンド(現ウズベキスタン)を中心に成コーカンド・ハン国が成立した。コーカンド・ハン国は徐々に東方へ進出し、1762年にはオシ(現キルギスのオシ州)を占領した。
1770年代には西方からカザフ・ハン国が北部キルギスへ侵入した。
近代
19世紀に入るとコーカンド・ハン国は強大化し、現キルギス北部へ進出する動きを見せた。キルギスに対する要塞建設・政治介入が進んだ。
1854年、ロシアはアルマトイ(現カザフスタン)近郊に要塞を建設した。
1855年、キルギスの有力部族がコーカンドや他部族との抗争から自らの地位を守るため、ロシア帝国へ服属した。
1860年代前半、ロシア帝国は現キルギス北部に位置したコーカンド・ハン国の拠点を攻撃し、これを占領した。
1876年、コーカンド・ハン国がロシア帝国によって正式に併合された。これによって南部キルギスもロシア帝国領に組み込まれた。現キルギスは北部のセミレチア州と南部のフェルガナ州に分割された。
1917年のロシア革命によりロシア帝国が崩壊した。現キルギスでも権力空白が生じるが、独立国家は成立せず、ボリシェヴィキが勝利した。
1924年、民族境界画定により、従来のセミレチエ州とフェルガナ州が解体され、民族ごとの自治体が創設され、カラ・キルギス自治州(首都ビシュケク:現チュイ州)が成立した。首都はピシュペク。中央アジアの民族境界画定によって、キルギス人を主要な構成民族とする行政単位が初めて明確に設定された。
1925年には、キルギス自治州へ改称。
1926年にはキルギス自治ソビエト社会主義共和国へ昇格した。首都ピシュペクはソ連の軍人・政治家、ミハイル・フルンゼにちなみ、フルンゼへ改称された。
1936年末、ソ連憲法による再編でソ連を構成する15共和国の一つであるキルギス・ソビエト社会主義共和国になった。首都はフルンゼ。
スターリン時代の1930年代には集団化が実施され、遊牧中心社会から定住農業・工業社会への変化が生じた。
現代
1980年代後半、ゴルバチョフの改革により民族運動が活発化した。
1990年12月15日、国家主権宣言を採択。そしてソ連崩壊の過程で、1991年8月31日にキルギス共和国となった。首都はフルンゼから、ビシュケクへ戻した。
初代大統領となったアスカル・アカエフはソ連型の中央集権体制から市場経済・議会制民主主義への転換を進めた。
また、ソ連時代の行政境界が国境となったため、周辺国(カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、中国)との国境画定が問題となった。フェルガナ盆地では、民族が入り混じる中で飛び地や複雑な国境線が残され、緊張の原因となった。
1993年、キルギスは中央アジア諸国で最も早くルーブル圏を離脱し、ソムを導入した。
アカエフ政権は次第に権力集中が進み、政権の長期化や腐敗への批判が強まった。
2005年、選挙で不正があったとの批判が高まり、抗議運動が拡大した。大統領府の占拠に至り、アカエフは国外へ逃亡した(チューリップ革命)。
革命後に大統領となったクルマンベク・バキエフは民主化を掲げたが、次第に権威主義的な政治運営への批判が強まり、2010年の革命で国外へ逃亡した。ローザ・オトゥンバエワ中心の暫定政府に移行した。
革命直後には南部ので、キルギス人とウズベク人の民族衝突が発生し、数百人が死亡した。
2010年の新憲法制定に伴い、議院内閣制が重視され、中央アジアでも比較的議会政治が強い国となった。大統領権限を制限し、議会と首相の権限を強化することで、権力集中を防ぐことを狙った。
2011年の大統領選挙でアルマズベク・アタンバエフが当選した。比較的安定した政権運営のもと、ロシアとの関係強化などが図られた。
2017年にはソーロンバイ・ジェーンベコフが当選した。前大統領アタンバエフとの対立が激化するなど政権基盤は不安定だった。
2020年の選挙の不正疑惑から抗議運動が起こり、選挙結果が無効化された。ジェーンベコフ大統領は最終的に辞任し、サディル・ジャパロフが台頭した。
2021年、ジャパロフは政権を握り、新憲法を制定し、再度大統領の権限を強化した。
近年、中国との経済関係が急速に拡大している。また、ロシアとの結びつきも強い。
2021年と2022年には、独立後も未画定だった国境をめぐり、タジキスタンとの武力衝突が発生した。2025年、交渉の結果として国境画定条約が締結された。
おわりに
キルギス共和国の歴史は、遊牧文化を基盤としながらも、シルクロード交易やイスラム世界、モンゴル帝国、ロシア帝国、ソ連といった周辺勢力との関わりによって形づくられてきました。独立後は二度の政変を経験し、政治制度の見直しを重ねながら現在の国家体制へと至っています。
また、中央アジアの中心に位置する地理的条件から、中国やロシアとの関係に加え、周辺諸国との国境問題など、現在も地域情勢の影響を強く受けています。キルギスの歴史をたどることは、中央アジア全体の歴史や国際関係を理解する上でも重要な手がかりとなるでしょう。

