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世界史|トルクメニスタン共和国

世界史
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はじめに

現在のトルクメニスタンは、中央アジア西部、カスピ海東岸とイラン・アフガニスタンの間に位置する。国土の大部分をカラクム砂漠が占める一方、ムルガブ川のマリ(古代メルヴ)やアム川下流域のホラズムなどには古くからオアシス都市が発達した。

そのため、この地域の歴史は「トルクメン人国家の歴史」というより、古代のイラン系諸国家、イスラーム王朝、テュルク系王朝、モンゴル・ティムール系勢力、ウズベク諸ハン国、イラン諸王朝、そしてロシア帝国という、異なる勢力がオアシスと交易路をめぐって争ってきた歴史として捉える必要がある。現在のトルクメン人が政治的・民族的主体として大きな存在感を持つようになるのは、とくに中世後期から近世にかけてである。

歴史

古代

紀元前3千年紀頃からムルガブ川流域(現トルクメニスタンのマル州あたり)にオアシス都市ができ、都市文明が形成された。

紀元前6世紀ごろになると、現トルクメニスタン南部・西部はアケメネス朝ペルシアの勢力圏に入った。南東部のメルヴ周辺は古代のマルギアナ、南西部からイラン北東部にかけてはパルティアと呼ばれた。

アケメネス朝崩壊後、アレクサンドロス大王の東方遠征によってこの地域もマケドニアに組み込まれた。その後、セレウコス朝の支配を受けた。

紀元前3世紀ごろからアルサケス朝パルティアが台頭する。中心地の1つたるニサ(首都アシガバード近郊)は繁栄した。現在のトルクメニスタン南部は、古代イラン世界の重要な一部だったといえる。

3世紀になると、アルサケス朝パルティアに代わってササン朝が成立した。現トルクメニスタン南部もその東方領域に組み込まれた。

中世

7世紀、アラブ勢力がササン朝を滅ぼすと、中央アジアへのイスラーム勢力が進出した。651年にはメルヴ(現トルクメニスタンのマル州あたり)が占領された。

8世紀にはウマイヤ朝の支配を受けた。

747~750年のアッバース革命では、メルヴ総督が革命運動の中心となった。その後はアッバース朝の支配を受けた。

9~10世紀には、アッバース朝の中央支配が弱まるにつれて、イラン系のサーマーン朝が勢力を拡大した。

11世紀に入ると、オグズ系テュルク諸部族が台頭する。その中からセルジューク家が勢力を伸ばし、1040年にガズナ朝を破ると、ホラーサーンを支配下に置いた。

1118年、サンジャルがセルジューク朝のスルタンとなると、帝国東部を統治するためメルヴを首都とした。メルヴはセルジューク帝国東部の政治的中心となった。

1141年、サンジャルは東方から進出した西遼(カラ・キタイ)に敗北した。

サンジャルの死後、セルジューク朝の東方支配は急速に崩壊した。

12世紀後半になると、現トルクメニスタンの北部にて、セルジューク朝の衰退に乗じてホラズム・シャー朝が勢力を拡大した。その王家はもともとセルジューク朝に任命されたホラズム総督から出発している。

1219年以降のチンギス・ハンによる侵攻によってホラズム・シャー朝は崩壊した。1221年、メルヴが攻略された。古代以来のイラン系都市文明は破壊される一方、モンゴル帝国の支配を通じてテュルク・モンゴル系遊牧民の影響力が強まった。

メルヴをはじめとするホラーサーン東部はイルハン朝の勢力圏に入り、北西部のホラズムではジョチ・ウルスの支配領域となった。

14世紀後半、ティムールが勢力を拡大し、現トルクメニスタン地域もティムール帝国の支配圏に組み込まれた。メルヴやホラズムはティムール朝の中心ではなかったものの、イラン・中央アジアを結ぶ地域として重要な位置を占めた。

近世

1447年に君主シャー・ルフが死去すると、ティムール朝では再び後継者争いが起こった。
ウルグ・ベクがティムール第4代として即位するが、1449年に自身の長男に殺害された。これにより、ティムール朝はアム・ダリヤ川周辺のサマルカンド政権とホラーサーン中心のヘラート政権に分裂した。

1451年に、北方のウズベク・ハン国の力を借りて、ティムール家のアブー・サイードがサマルカンド政権の実権を掌握した。1459年には、黒羊朝(カラ・コユンル)と同盟しヘラート政権を滅ぼした。

1469年、白羊朝(アク・コユンル)に敗れ、アブー・サイードが死去した。その後、ティムール朝は再度サマルカンド政権とヘラート政権に分裂した。

1500年、北方から、ムハンマド・シャイバーニー率いる遊牧国家のウズベク・ハン国(カザフ・ハン国に敗れその領土は縮小していた。)が南下し、サマルカンド政権は滅んだ。

1507年、ウズベク・ハン国はヘラート政権も滅ぼし、現在のイラン北部を支配下に置いた。
(*ティムール朝は、現アフガニスタンのカーブルを中心とした、アブー・サイードの孫バーブルの勢力が残るのみであった。のちのムガル帝国に繋がる。ちなみに、ウズベク・ハン国が滅ぼしたティムール朝の創設者ティムールは、今日のウズベク人にとって、英雄とされる。)

1510年、ムハンマド・シャイバーニーはサファヴィー朝(1501年成立)のイスマーイール1世に敗れて戦死した。これにより、現在のイラン北部を喪失した。また、ホラズム地方(現ウズベキスタンのホラズム州あたり)もサファヴィー朝に支配されたが、ウズベク部族(ウズベク・ハン国とは別集団とされる。)の支持を得てこれを奪い返し、1512年、その地にヒヴァ・ハン国を建国した。近世を通して、ヒヴァ・ハン国は成立し続けた。

ヒヴァ・ハン国の支配はトルクメン人の諸部族に対する直接統治ではなかった。トルクメン人は自治的に活動し、戦争になるとヒヴァ・ハン国に兵力を提供した。

近代

1860年代にはロシア帝国が南下政策を本格化させた。

1873年、ロシアに降伏し、その講和条約によってヒヴァ・ハン国は存続したものの、ロシア帝国の保護国となり、アム川右岸の領土を割譲・外交権をロシアへ譲渡・賠償金を支払うなどを認めた。

ロシア帝国はその後トルクメン部族を攻撃し、これを征服した。

1917年のロシア革命後、保守派と改革派が対立し、改革派はボリシェヴィキと協力し、政権打倒を目指した。1920年初頭、赤軍が侵攻し、最後のハンは退位してホラズム人民ソビエト共和国が成立した。

1924年、境界が民族に基づいて引き直され、トルクメン・ソビエト社会主義共和国が成立した。

1928年には文字を持たなかったトルクメン語はラテン文字で表記されることになった。

1940年にはキリル文字で表記されることになった。

現代

1980年代後半、ゴルバチョフのペレストロイカによってソ連の統制が弱まると、民族意識が強まった。

1990年8月、トルクメンSSRは主権宣言を採択し独立へ向かった。

1991年10月27日、独立を問う国民投票が実施され、圧倒的多数が独立を支持した。その後、トルクメニスタン共和国として独立した。独立後の初代大統領となったのは、サパルムラト・ニヤゾフである。ニヤゾフは旧共産党指導部出身だったが、ソ連型共産主義に代えてトルクメン民族主義を国家理念として掲げた。1994年、国民投票によりニヤゾフは任期を延長した。1999年には大統領の再選制限を撤廃し、事実上の終身大統領となった。

1995年、国連総会で永世中立国として承認され、ロシア主導の軍事・政治ブロックへの参加を避けた。

国内では政治的自由が制限され、メディアや反対派を統制した。豊富な天然ガス資源を背景に、ニヤゾフ政権は外国との距離を保ちながら独自の国家体制を形成した。

2006年、ニヤゾフが死去した。

2007年、グルバングル・ベルディムハメドフが大統領に就任した。政治体制は大きく変わらなかった。

経済面では天然ガスが国家経済の中心であり、特に中国への輸出が拡大した。ロシアへの依存を減らし、中国・イランなどを含む複数方向へ輸出を行った。

2012年、複数政党制が導入されたが、実際には主要政党が政権側と近く、政治的競争は限定的だった。

2021年、憲法改正によって人民評議会が上院として設置されたが、ベルディムハメドフはそこでも権力を保持した。

2022年、ベルディムハメドフは大統領職を退き、息子のセルダル・ベルディムハメドフが大統領に就任した。父グルバングル・ベルディムハメドフの政治的影響力はなお存続している。

おわりに

おわりに

トルクメニスタンの歴史を振り返ると、この地域が古代からイラン世界と中央アジア、そして東西の交易圏を結ぶ重要な地域であったことが分かる。メルヴやニサのような都市は古代から繁栄し、アケメネス朝やパルティア、ササン朝、イスラーム諸王朝の時代を通じて、政治・文化・交易の拠点として発展した。

中世になると、セルジューク朝の東方支配の中心としてメルヴが大きく発展する一方、モンゴル帝国の侵攻によって都市文明は大きな打撃を受けた。その後、ティムール朝やウズベク系諸勢力、ヒヴァ・ハン国などの時代を経る中で、現在のトルクメン人につながるテュルク系遊牧民の存在感が次第に強まっていった。

19世紀にはロシア帝国の中央アジア進出によってこの地域も征服され、20世紀にはソヴィエト連邦の一部となった。そして1991年のソ連崩壊によって独立を果たし、現在のトルクメニスタン共和国が成立した。

独立後のトルクメニスタンでは、ニヤゾフ、ベルディムハメドフ父子のもとで強い大統領権力が形成された。また、豊富な天然ガス資源を背景に、中国をはじめとする国外へのエネルギー輸出を拡大している。一方で、国際社会に対しては「永世中立」を掲げ、周辺の大国との距離を保つ独自の外交政策を続けている。

古代のオアシス都市からイスラーム世界、テュルク・モンゴル世界、ロシア・ソ連支配を経て独立国家へ――。トルクメニスタンの歴史は、中央アジアがさまざまな文明と勢力の交差点であったことをよく示している。

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